シオニスト・イスラエル国家の暴力
   ・・・「ナクバ」以降パレスチナ人追放
    =民族浄化・徹底的抑圧隷属化の歴史



年表(岡真理『ガザとは何か』より、および早尾貴紀「ガザ地区とパレスチナ占領の概要」から抜粋)

 1947年11月29日、国連総会「パレスチナ分割案」採択  (パレスチナの現在
    (パレスチナ全土の
7%しか土地所有をせず、人口比でも3割しか占めていなかったユダヤ人の側に、
     
57%の土地をユダヤ人国家として認める極めて非現実的かつ不公平な分割

   ・・・パレスチナの民族浄化、開始。(サイード一家も
   分割直後から、ユダヤ人国家を目指す
シオニズム軍と、それを阻止する周辺アラブショック軍との間で戦闘開始。
   
 1948年 「ナクバ」
   4月 デイル・ヤーシーンの虐殺
   5月 イスラエル建国宣言・・・イギリスによる委任統治の終了。
   第一次中東戦争
     1949年7月までに各国と停戦協定(エジプトとの停戦協定は49年2月)
      「近代的な装備によって圧倒的なシオニズム軍/イスラエル軍が前線を一気に押し広げ、
       また戦略的な入植政策によって、
全土の77%を実効支配することとなった。
       この停戦ラインを「グリーンライン」と言い、それによって現在のイスラエル領とされる地域が成立し、
       その残りがヨルダン川西岸地区とガザ地区という現在の形でその範囲がほぼ確定こととなった。
       もちろんこれは、
国連決議の範囲をはるかに越境した「占領地域」をイスラエルが持つことを
       意味した」(早尾13)
    ガザ地区
      「停戦時点でガザ地区を支配していたエジプトが、49年以降はガザ地区を占領下においた。
      しかし、領土として併合はしなかった。
       それに対してトランスヨルダン王国は、ヨルダン川西岸地区を国土の一部として併合した。」(早尾13-14)
    
 1956年 第二次中東戦争

 パレスチナ民族解放運動組織(「ファタハ」1957、初代議長アラファト)
  ・・・PLO(パレスチナ解放機構)の成立(1964)
 
 1967年
   第三次中東戦争…イスラエルは、東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ、シナイ半島、ゴラン高原を
占領
    (シナイ半島のみ、エジプトに返還)。

   国連安保理決議…イスラエルに撤退を求める(242号)
   パレスチナ解放人民戦線(PFLP)

   イスラエル政府は占領地にユダヤ人国民の入植政策を進め、
   ガザ地区にも最大で8000人を超える入植者が居住することになった。
   それと同時に、ガザ地区および西岸地区の被占領地では、
   イスラエル政府によって、独自の産業政策が著しく制限された。
    ⇒それによって生じた失業と産業の空白によって、両占領地区は、
   イスラエルにとっての
安価な労働力供給源イスラエル製品の販売市場として
   政策的に利用されることとなった。
    ⇒「植民地経済・従属経済」、破壊的な構造・・・支配従属関係、根本的差別政策。
     パレスチナ人は建設業・清掃業・運輸業など(いわゆる3K労働)に多く従事。(早尾14)

 1969年
   パレスチナ解放民主戦線((DFLP)
 1973年
   第四次中東戦争
 1980年
   イスラエル、東エルサレムを併合。首都化宣言。
 1987年
   第一次インティファーダ
(頭をあげる、恐怖を振り払う、覚醒・抵抗する運動、
    パレスチナ人の民衆蜂起・抵抗運動
ガザで開始
開始。
   民族解放組織「
イスラーム抵抗運動」(ハマース)誕生

   イスラエルは、「御しやすい労働力」とみなすこををやめ、
   最終的にはパレスチナ人を労働市場から完全に排除する方向へと大きく舵取りをすることとなった。(早尾15)

 1993年
  
オスロ合意
  パレスチナ暫定自治開始。(国連分割決議の問題性、パレスチナ側の妥協

 1995年
  
オスロ合意に調印したイスラエルのラビン首相、暗殺さる

 2000年9月〜
  
第二次インティファーダ開始
 (2001年8月南アフリカ・ダーバンで開催の
国連人種差別撤廃会議で、多数の参加国が、
  イスラエルによる
パレスチナ地域の軍事占領と統治を「あらたな形態のアパルトヘイト」だと非難し、
  さらに
シオニズムを人種主義と規定し、イスラエル軍によるパレスチナ人民間人虐殺を
  種族掃討または大領虐殺」だと強く非難。これに反対してイスラエルと米国が懐疑から撤退・・・徐京植
 
 2005年8月、ガザ地区からのイスラエルの入植地・軍事基地の撤退。・・・「一方的撤退」
    ごく一部を除き、原則的にパレスチナ人の出入り禁止。
    ⇒「
ガザ地区は完全に切り離された監獄」に

 2006年のパレスチナ総選挙・・・「和平プロセス自体を根本的に批判する
ハマースに政権を託した」(早尾17)

 2007年
  ガザ内戦、ハマース勝利。パレスチナ・ガザ地区(ハマース政権)、パレスチナ・ヨルダン川西岸(ファタハ政権)。
   ハマース勝利に対して、「即座にイスラエルと欧米諸国lと
日本は、ハマース政権ボイコットを決め、圧力によって
   ハマースを屈服させようと私対決姿勢を強めた。」(早尾38

  イスラエル、ガザを完全封鎖

 2008年12月、イスラエル、ガザ攻撃(09年1月にかけて22日間。パレス治安側死者1400人)
     (もしガザが陥落すれば・・・・サラ・ロイ2008年12月26日、「ガザ以前、ガザ以後」2008)

 2012年11月、イスラエル、ガザを攻撃(8日間、パレスチナ側死者140人超)
    同じ11月、国連総会は「パレスチナ」を
オブザーバー国家として承認

 2014年4月、ハマース、ファタハと暫定統一政府発足に合意(51日間戦争により頓挫)。
     5月、ネタニヤフ来日、安倍晋三首相と会見、「包括的パートナーシップの構築に関する共同声明」。
     7月、イスラエル、ガザを攻撃(51日間戦争。パレスチナ側死者2100人超。内子供500人)

 2017年 トランプ大統領、アメリカ大使館のエルサレム移転を表明(18年5月に移転)
 2021年5月、イスラエル、ガザを攻撃(15日間)
 2022年5月、イスラエル、ガザを攻撃(3日間)
 2023年10月7日、ハマース主導の越境奇襲攻撃を端に、イスラエルによるガザ地区攻撃開始。

 2024年5月28日、スペイン、アイルランド、ノルウェーはパレスチナを正式に国家承認。
      (国連加盟193か国のうち、パレスチナ国家承認は、143か国に)